備前とは其の参 茶陶

備前 桶形 水指 銘 破桶 013

 永禄年間に至ると備前物の水指、建水がしばしば茶会記に登場し、ことに建水に「棒の先」「甕のふた」などと称されるものが大いに用いられ、侘茶の建水として備前物は圧倒的に人気があったようであります。さらに、天正年間に入ると花生も加わり、伝世している茶陶のほとんどが出揃ってくるが、桃山風の作為的な作品はやはり天正年間に至って焼成されるようになったと考えられます。
 天正年間から文禄、慶長さらに江戸前期にかけての茶陶は、美濃や伊賀、信楽の窯もそうであったようにに、やはり千利休や古田織部、小堀遠州等を先達とする時代好みを受けているように思われます。室町後期から桃山にかけての水指や花生を概観しますと、そこに明確な作風の変遷をうかがうことができます。作行きがやや大振りで歪みがあまりなく、力強く素直なものから、力感を誇示するがごとく歪みと箆使いの激しいものになり、そしていわゆる伊部手風のものへと変わっていったようで、最初の作風は利休が活躍した天正年間頃に多いようであり、次いで古田織部の全盛期といえる慶長年間に歪みの強いものが多く焼成されたように思われるのです。しかも、天文から天正にいたる間は、備前焼の方が美濃よりも積極的に侘の茶陶の注文を受けていたのではないかと思われるところがあります。例えば、桃山の茶陶を象徴する矢筈口形式の水指や花生など、備前ではほぼその作風の変遷がたどれるようであり、おそらく最初にあのような形式のものが備前で焼かれ、それが時代の流行となって美濃や伊賀、信楽、さらに唐津にまで影響を及ぼしていったように考えられるのです。
 だが茶陶は何といっても特別注文品であり、ために窯跡の調査などによっても、その実体を観察することは極めて困難です。しかし天正から慶長にかけて、備前には美濃に比肩しうる優れた陶工達がいて、大いに活躍したことは確かで、そこに示された大胆でしかもきめ細やかな作為が容易ならざる境地に至っていたことは、伝世の茶陶をつぶさに見れば一目瞭然です。

About the author: Yoshihisa Tsuruta

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