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焼き物のお話 Archive

叩き技法(たたき)とは

叩き技法(たたき)とは、日本での古くは縄文式土器時代より始まった土を使った物つくりは、現代でも脈々と続いております。
細く紐状にした土を積み重ねていき形を成形し、その表面を紐で編んだ縄状の物を転がしながら綺麗にする技法が「縄文式土器」の作り方です。
唐津の「叩き技法」も焼成温度は違えども、積み上げ方は変わらず、ただ違うのは表面を綺麗にするときに、内側に丸太を輪切りにしたコテと外側に叩き板を使って、挟むように叩いてならすというやり方です。内側に移る青海波状紋は、丸太の輪切りにした年輪の跡がついた物で、リズム良く叩いていくと綺麗な「波状紋」が残ります。
水をあまり使わず叩き締めて丈夫に造り、薄く軽く仕上げ「頭上に甕を乗せて運ぶ女性」の甕を作ることが出来るのです。その合理性が茶人に受け入れられたのではないでしょうか。

叩き技法(たたき)とは

木箱の紐掛け

木箱の紐掛け

皮鯨 かわくじら とは

皮鯨(かわくじら)とは
昔、唐津の地方でよく食していた鯨の身と黒くなった皮の部分が皮鯨といい、器の口の部分に黒く塗ったのが似ているため、そこから出た呼び名です。
本来の意は、茶碗や食器の口の部分を丈夫にするため鉄釉を巻いて焼成した物と思われます。
ぐい呑や茶碗・鉢・皿類が多いようです。

皮鯨

絵唐津 えからつ とは

絵唐津(えからつ)とは

唐津焼のうち鉄絵のあるものをいう。胎土は鉄分の多い砂土で、灰釉が施され、鉄砂による草花文様や橋の上人物など瀟洒な絵のものが多く、茶碗・皿・鉢・火入など種類も多い。絵唐津菊桐茶碗(燕庵名物)は秀吉が文禄の役の名護屋在陣中に焼かせたと伝えられ、帰洛後敷内剣仲に授けた。また「あやめ」の茶碗はその作風から寛永(1624-44)ごろのものと思われる。
唐津では黒錆ともいい、瀬戸地方では鬼板と呼ばれる鉄を多く含んだ岩石を砕き、擂り潰して水で溶かしたものを絵の具として使い、草や木などを燃やし灰を作り、それを主成分とした釉薬の下や上などに、草や木・鳥・花・山水・川縁の小動物等のような具象紋や点や〇などの抽象紋を一筆書きのように描き、焼いたもの。
肌の色具合も青・白・赤・黒くなったりそれでも中間色ではあるがその時の窯具合により色々である。一般に唐津焼に絵を描いたものを絵唐津と称します。珍しい例として藁灰釉をかけた斑唐津に絵を書いたものもある。
初期の頃の唐津には草花の単純に素朴な絵柄(今の我々には何の絵柄か理解できないのが多い)が多かったようですが、織部好みの影響が入ってきた頃よりデザイン的で画材も豊富になり、筆使いも繊細になって陰と陽の使い方が出てきて、より図案的なってきたように見受けられます。志野、織部とよく似ているものが多いようです。

絵唐津(えからつ)とは

斑唐津 まだらからつ とは

斑唐津(まだらからつ)とは

これは釉薬の分類の名称で、稲科の植物で珪酸分の多い草や藁(わら)等燃やして灰を作り、それを主成分とした釉薬(白釉とも言う)が、元々白く焼き上がるのだが高温度で土と熔け合い透明になったり微妙な色が出たり変化に富み斑状になるのでこの名称が付いたようである。この釉薬を単独で掛けたものを斑唐津、鉄分の多い飴釉と掛け分けたものを朝鮮唐津と解釈した方がよいと思う。
古唐津の初期の頃より使われた釉薬で、北朝鮮の焼き物にルーツがあり、今日の陶磁器の世界では鉱物原料が大半を占める釉薬が使われているが、この釉薬は身近で手に入りやすい茅(かや)や稲の灰分を主成分にした使い方と思われる。
元来、陶磁器は白さに憧れるものであるが、この斑唐津の白さも一種独特な面もちがあり、鉱物原料の長石や珪石の白さとは違う味があると思います。

斑唐津(まだらからつ)とは

朝鮮唐津 ちょうせんからつ とは

朝鮮唐津(ちょうせんからつ)とは
朝鮮唐津とは絵唐津・斑唐津など、代表的な唐津の装飾の一つで、黒飴釉の上に海鼠釉を掛けたりまたその逆海鼠釉の上に黒飴釉を掛けたりしたものです。
この技法は全国の諸窯などに数多くありますが、朝鮮唐津は、黒飴釉の部分と海鼠釉の部分とを別々に掛け分けて、やや重なり合った部分が高温でガラス化し黒の部分と白の部分が溶け合い、絶妙な色と流れ具合の変化が特徴になります。
その名称の由来として、一説によりますと当時外国と言えば朝鮮が一番身近のようで、外国と言えば朝鮮という意味合いから来て、異国の所産のような唐津焼、朝鮮唐津と伝えるようになったようです。
でも朝鮮半島には朝鮮唐津のルーツになるような品々は少なく、日本に渡ってきてから発展したと解釈した方が良いと思います。 
唐津焼とは、初期の頃は壺・皿・碗等の一般民衆が使う器を生産していたのですが、桃山時代の豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592)頃より秀吉をはじめ千利休・古田織部等の中央の武人茶人達の影響を受け、お茶の文化が入ってき来たようです。
そのような時代的な背景で形状や装飾等に変化が現れてきたように思われます。装飾の面では、初期の唐津には単独の顔料で絵を描き一種類の釉薬を掛けているだけが多かったのですが、時がたつにつれ絵唐津や青唐津などもそうですが、朝鮮唐津は特に、織部焼がペルシャの陶器に影響を受けたように唐津もそのようで、それぞれ違う釉薬を使い分けた装飾法が発展したと思います。今でこそ流れ具合を重要視しますが、昔は、ただ掛け分けたという感じが強いようです。

朝鮮唐津(ちょうせんからつ)とは

梅花皮(かいらぎ)とは

鰄(梅花皮)
鰄は、訓読み。本来、「東南アジア原産の鮫類の皮で、アカエイに似た魚の背皮」を意味するようである。その皮で、刀剣の柄や鞘や、装飾品に用いられたという。
梅花皮は、当て字で熟字訓。この皮が、梅の花形の粒状の突起がある魚の皮であることから。また、表面が、このような粒状突起がある陶磁器も言う。これは、 陶磁器の釉が縮れて粒状になったもの。釉の様子が鮫の皮の凹凸状態に似ているところからそう呼ばれるようになった。特に器の見所の一つとされている。
陶磁器の釉薬とは焼成温度が上がるにつれ、まず収縮しその後水飴のように熔けて広がり釉化(ガラス化)し凝固するという性質の中で、熔けて広がる手前で冷却されてそのまま残るものです。
特に有名なものとして古陶器の李朝系(朝鮮半島)の井戸茶碗などが挙げられます。
陶磁器を鑑賞する上で、完璧さや綺麗さ華やかさからいうと未完成だと思いますが、そういった未完成さを日本人特有の美的感覚から「あじ」と考えられ、またこの未完成な模様の名前に梅花皮(カイラギと読む)としたところにも昔の茶人の粋を感じます。
梅花皮の釉薬とは、釉薬の縮れが土の荒さに比例するところで唐津焼とか萩焼など砂毛の多い土で作成されている産地に多く見受けられます。

◇梅花皮(かいらぎ)とは

奥高麗

茶道筌蹄に「高麗人来たりて唐津にて焼し故高麗の方より奥といふ事なり」とあり、然れども奥は古きといふ意味なり。此種の陶器肥前唐津にて焼しか、或は朝鮮の或る地方にて造りしか、今之を確知するに由なしと雖も、兎に角一手古きを以て奥高麗とは呼ぶなるべし。『大正名器鑑』より

今日では唐津と認識されている奥高麗だが、大正名器鑑では異なる分野に属している。
帰来したばかりの朝鮮陶工が作ったものでどちらの産か判明しにくい為の名称なのか、あまりにも高麗に似ている唐津という意味なのか判断しがたい。高麗の時代は唐津で焼かれ始めた時代とは異なる為「奥李朝」のはずである。

漠然とではあるが、唐津の中で高麗に似たものを奥高麗としょう。

奥高麗 茶碗 銘「深山路」(みやまじ)

奥高麗  奥高麗

唐津 片口茶碗 銘「離駒」

唐津片口茶碗の話が出ましたので、お話を。
古唐津奥高麗茶碗に「離駒」という茶碗がある。
大正名器鑑に、直した茶碗を馬に喩え、注ぎ口の孔を閉じて片口をそのまま残したものを離れ駒といい、片口を取ったものを繋ぎ駒というとある。茶碗の画像を見てみると注ぎ口を取った形跡は内容に見えるので意味がいまいち反対のように伺えるが、孔を閉じて口の役割を無くしたので離駒と解釈しよう。
昔より有名な話で、片口を茶碗に見立てて使えるのは唐津の茶碗だけで、他の焼では茶碗として認められなかったという。それくらい唐津の片口とは有名だったようだ。

片口 茶碗 奥高麗  片口 茶碗 奥高麗

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