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鶴田 純久の章 お話

西洋風の彩料のこと。
1867年(慶応三)瑞穂屋卯三郎はヨーロッパより西洋風顔料を伝え、業者は従来の絵具を和薬といいこの新来のものを洋薬といきました。
洋薬は着色金属と碩酸を含む媒熔剤とを調合して焼き、これを微細な粉末として使用者に供給するもので、その焼成前の色と焼成後の呈色とほぼ一致し、焼成の火度も強烈を必要としないようです。
従来の和薬と比べて取扱いははるかに容易で、呈色も美麗で、それに繊細緻密な描画が可能なため業者はこぞって洋薬を使用しました。
しかし洋薬の呈色はやや浅薄のうらみがありますので、明治中頃よリ一般向きの品のみに限られるようになり、鑑賞的作品には和薬を用いるようになりました。
(『九谷陶磁史』)

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