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鶴田 純久の章 お話

近畿地方で平安時代から室町時代にかけて使用された灰黒色の軟質上器。黒色土器の後身であります。
灰黒色を呈するのは窯の中でいぶした結果であって、切断面でみるとそれは器壁の表層に留まり、芯は白色に近い灰色を示しています。
高台付き碗と浅い皿とが大半を占め、他の器種はまれであります。
瓦器を特色付けるのは、口縁部内面に箆によって施した幅2・3mmの線状の磨研であります。
この磨研部分は濃い鉛筆でこすったように銀色の光沢を帯びています。
碗についてみますと、口縁部の内外面には単に横方向の磨研の線を重ねるに過ぎませんが、底部内面には、磨研の線による文様すなわち暗紋として格子・斜格子・平行線・ジグザグ・螺旋などを描いています。
瓦器の分布は山城・大和・河内・和泉・摂津の五畿内と伊賀・紀伊に集中的にみられ、その周辺すなわち伊勢・近江・丹波・丹後・但馬・播磨・備前・安芸・淡路・阿波・土佐などではわずかしかみられないようです。
畿内では集落・寺院・墳墓などの遺跡の種類にかかわりなくI様にみられ、普遍的な日常容器をなしていたことがわかります。瓦器の変遷に関しては、十五型式に分け、十二世紀初頭から十五世紀中頃までの年代を与える説と、三段階十型式に分け、十一世紀後半までの年代を考える説とがあります。
初期の高台付き碗は口径15.6cm、高さ6cm前後でありますが、時代が降ると次第に小型化し、最後には口径10cm、高さ3cm前後となります。
また高台は退化して消失し、装飾も次第に簡略化しました。
しかしそれぞれの時期で形態・法量・手法が一定していることから、規格的・集中的に多量生産されたものと考えられています。
また山城・大和・紀伊などの瓦器にはそれぞれ地方色がみられますので、一国一ヵ所程度の、土師器生産の規模を上回る生産規模が推測されています。
(稲垣晋也「瓦器椀の成立と展開」『日本歴史考古学論叢』二白石太一郎「いわゆる瓦器に関する二、三の問題」『考古学研究』五四)

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