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鶴田 純久の章 お話
黒茶碗 銘大クロ 001
ライン

重要文化財
高さ8.5cm 口径11.0cm 高台径4.7cm
かつて千利休が所持していた茶碗であり、その後の伝来も極めて明確であるところから、天正年間後期に焼造された宗易形黒茶碗の典型作とみなされ、江戸時代に入ってからは、利休好みの長次郎七種茶碗の一つにあげられました。伝えによるとこの茶碗は、天正十四年から十六年の間に利休から嗣子少庵に与えられたらしく、内箱蓋裏の江岑宗左の朱漆書の書付にも「大クロ 利休所持 少庵傅 宗旦後藤少斎ヨリ・ 宗左へ来ル(花押)」と記しています。少庵から宗旦に伝わったことは明らかで、『隔莫記』によると一時期宗旦から門下の後藤少斎に移り、江岑の時ふたたび不審庵に戻ったことが知られます。
その後不審庵に伝わりましたが、三井浄貞を経て大阪の鴻池家に譲られ、以後同家第一の重宝として第二次大戦後まで伝来しました。外箱蓋表の「利休大くろ茶碗」の書き付けは随流斎の筆です。
 胴に緩やかなまるみを持たせ、口部を僅かに内に抱え込ませた姿はいかにも穏やかです。腰から底にかけて、かなり厚手に作られているので手取りはいささか重いです。小振りの高台も角にまるみをつけておとなしく、高台内に渦状の兜巾を削り出しています。畳付の釉が一部剥落して、赤い土、いわゆる聚楽土を見せ、全体にかかった黒釉は一方はかなり艶やかに、他方は霞がかかったようにかせ膚に焼き上がり、小さな案が散在しています。見込は広くゆったりとして、わざとらしい茶溜りはなく、畳付に目跡が四つ残っていますが、おそらく釉の剥れたところにいま一つあったものと思われます。見込の釉は長年の茶渋なども付着し、使用中にもかせたのか、見た目に艶はまったく失われ、褐色の釉膚になっています。いかにも利休の「草ノ小座敷」にふさわしい、みるからに内包的な趣の詫びの茶碗です。
長次郎七種の一つ。

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