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建窯 けんよう

中国・福建省建陽県にあった窯。
唐時代より青磁を、また宋時代から元時代には、黒釉の掛かった建盞と呼ばれる天目茶碗を産した。
天目に用いられる黒釉は鉄分を多く含むために窯変が起こり、禾目天目・油滴天目・曜変天目がうまれた。明代に入ると牙白釉の掛かった白磁もつくるようになります。

建窯 けんよう

建水 けんすい

茶碗を清めた湯や水を入れるもので「こぼし」ともいいます。唐銅、砂張(さはり)、 陶磁器、木地物などがあります。

建水 けんすい

献上唐津 けんじょうからつ

肥前唐津城主より徳川将軍家に献上した唐津焼の茶碗。唐津城主詩寺沢志摩の守広高が、寛永年間(1854-44)椎(しい)の峰の工人に命じてつくらせたのにはじまり、歴代の唐津城主が献上した。中でも安政年間(1854-60)小笹原候により献上された雲鶴象嵌の茶碗が有名。
茶道辞典 淡交社より
幕府に献上した唐津焼のことで、寛永年間唐津城主寺沢志摩守広高が椎の峰の工人に命じて作らせたのに始まり、以後大久保・松平・土井・水野の代々の唐津城主のときに作らせた。宝永4年から坊主町・唐人町で作られるようになった。この種は大正期まで焼成されていた。
絵付けは御用絵師によって成され、胎土はきめ細かく、雲鶴文の象嵌(ぞうがん)がよく知られています。

献上唐津 けんじょうからつ  献上唐津 けんじょうからつ

建盞 けんさん 建盞天目 けんさんてんもく

中国・宋時代に建窯でつくられた天目茶碗の総称。口縁がひねり返し、高台は小さい。
中国福建省にある建窯で造られていた天目茶碗には、口縁部が強く反(かえ)るタイプのものと、あまり反らないタイプ(いわゆる天目形)の2種類があり。この碗は後者の一例。建窯の天目茶碗にかけられた黒い釉薬には、茶色や銀色の細かい縦筋が無数に見られるものが少なくない。日本では、これを稲の穂先の芒(のぎ)(禾)に見立てるため、この種の釉薬がかかった天目茶碗を禾目天目と呼んでいる。

建盞 けんさん  建盞天目 けんさんてんもく

轆轤 ろくろ 蹴轆轤 けろくろ

作陶するときに使う道具。九州・山口県の地区はルーツは朝鮮半島によるのが多く轆轤を足で蹴りながら作陶するようです。また美濃瀬戸地区は手で回す「手回し轆轤」で作陶するようです。

轆轤 ろくろ 蹴轆轤 けろくろ

化粧掛け けしょうがけ

化粧掛けは、素地が黒っぽいものや肌が美しくないものをカバーするために行われる。表面に白い土の層をつくることによって、素地は白く滑らかになり、またその上に文様を描くにしても色がきれいに見える。
こうした化粧掛けの技法は古くからあり、例えば中国においては、唐代の三彩、宋代の磁州窯の製品等によく見られる。磁州窯の場合は、化粧掛けされたものの上に文様を描くほか、文様の部分だけ表面の化粧土を掻(か)き落とし、素地そのものの灰地を文様として表出させている。
朝鮮では化粧土を用いた装飾は多く、象嵌や刷毛目とともに、化粧掛けによる「粉引き(こひきまたは粉吹き)」の茶碗が名品として残されている。粉引きの場合は、泥漿に浸す方の化粧掛けでありあます。
日本では九州各地の陶器窯でみられる他、美濃の織部や京都の乾山にもみとめられる。乾山は化粧土を絵具として用いたところに特色がある。写真の碗は白化粧掛後透明釉をかけて本焼きし、更に上絵付けをしています。

化粧掛け けしょうがけ

 

景色 けしき

茶碗や茶入れなどの釉薬に現れた変化のことで、品物を鑑賞する場合の見所の一つになる。
高麗茶碗などの磁肌に現れてくる景色は、使い込むのしたがって出てくる味わいであり、 自然釉は窯の中でつくられる景色であります。

鶏龍山 けいりゅうざん

朝鮮・李朝時代初期の15、六世紀の窯。忠清南道に位置し、三島、刷毛目、白磁などを焼いていました。
この手の鉄絵粉青を俗に鶏龍山(けいりゅうざん)と呼ぶが、これは窯が忠清南道公州郡反浦面の鶏龍山山麓、鶴峰里に位置するためである。高台裏には白化粧がなく、畳付を除いて全面に黄色味をおびた透明釉がかかっている。この手の瓶は、小さく引き締まった高台に特徴があり、本器もその例にもれない。器の表には何本かの圏線が廻らされ、胴の中央には如意頭文と蔓草と想われる文様が手慣れた速い筆致で描かれ、速度感と軽快さを魅力とされてます。
鶏龍山窯址は、韓国では初めて発掘調査が行われた窯としても有名です。その成果は1929年、神田惣蔵・野守健編『鶏龍山麓陶窯址調査報告』(朝鮮総督府)にまとめられました。発掘調査の結果、6箇所の窯が確認されたほか、数多くの印花や粉青鉄絵の陶片が出土しました。また、「成化(せいか)二十三年」(1487年)や「嘉靖(かせい)十五年」(1536年)銘の墓誌などが出土し、粉青の年代を考える上で貴重な資料となりました。この鶏龍山発掘の結果は広く受け入れられ、新たな高麗茶碗のひとつとして、あるいは唐津の源流説ともなり、当時大きなブームを起こしましたようです。

鶏龍山 けいりゅうざん  鶏龍山 けいりゅうざん

景徳鎮 けいとくちん

景徳鎮窯では明時代中期になると民窯を中心にしだいに五彩,すなわち釉上彩の技法が盛んになっていった。
この作品は明時代嘉靖年間(1522-66年)頃に景徳鎮民窯で盛んに焼造されたいわゆる古赤絵の典型作である。がっしりとした大型の鉢に,自由闊達なのびのびとした筆づかいで草花文や唐草文が描かれており,赤,緑,黄の濃厚華麗な上絵具が明るく健康的な色彩美を生み出している。底裏に青花で「大明年造」の銘が記されています。

景徳鎮 けいとくちん

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