鶴田 純久
鶴田 純久

所蔵:畠山記念館
高さ:5.4~6.4cm
口径:13.3~13.7cm
高台外径:5.0~5.4cm
同高さ:1.1cm

 千宗旦の第二子であり、不審庵(表千家)を継いだ江岑が所持していたのでその名があります。江岑は寛文十二年十月二十七日に五十四歳で没しましたが、紀州の徳川頼宣に仕えて二百石を領したと伝えられています。
 作ゆきは、まさに小井戸の名にふさわしく、よく引き締まって小振りです。そしてまた江岑という茶人の所持と伝えるにふさわしい佗びた趣に満ちた茶碗ともいえます。
 松山青桐はその著『つれづれの友』に、
、江岑 口径十目 九目半(畳の目)の所もあり、惣体地赤みて青のかはりもあり、古今の出来なり、高台脇カヒラゲ多く、所々溜薬あり、轆轤(ろくろ)よく立つ、見込茶溜力少し脇へ寄る、カヒラゲ薬流れグイと深し、脇地に赤み、格別多し、内に結構なる白釉溜り所々に在り、惣体青と赤片身変りにて、柔かなる出来なり、高台巴よく立ち、高く上り、内力ヒラゲあり。…
と、その実見の様をしるしていますが、たしかにこの茶碗のよさはやわらか味に満ちた釉調のよさ、ことに青味と赤味の片身替わりに変化し、しかも梅花皮(かいらぎ)状の釉みせた見込みの釉肌は、佗びた趣のなかにあざやかな景をなしていて美しいです。
 形姿は、やや端ぞりの口づくりをみせた胴から口縁への轆轤(ろくろ)運びは独特であり、また総体の大きさに比して、高台のつくりの大きく高いのも特色といえます。高台の作ゆきは小振りの茶碗とも思えぬほど力強い削りあとをみせ、その釉調のよさも加わって、これまた小井戸のなかでも類の少ない出来です。厚味は小振りにしてはやや厚手の感があります。
 目あとは高台、見込みともに四つ残っています。また見込みには火割れが二ヵ所にあり、口縁から胴にかけて大小のひび割れが六~七本あらわれています。
 内箱蓋表の「井戸」の二字が江岑筆であることを、「江岑所持井戸茶碗箱ヲモテ書付同筆」と、江岑よりのち五代目の嘩啄斎が蓋裏に極書しています。その後、千家より山中了寿、松平周防守と伝わり、本屋了雲の『苦心録』によると、天保年間に松平周防守から金千両二百枚をもって平瀬家に入り、さらに戸田露吟の手を経て金沢の村彦兵衛、大阪の島徳蔵などを転伝して畠山一清氏の蔵となり、同氏が畠山記念館を創設するにあたって、同館の保管するところとなりました。
 箱の作ゆき、書き付けともに、遠州の好みや筆とはちがって、いかにも千家流の質素なうちに佗びた趣があるのもまた好ましく、ことに江岑筆の「井戸」の二字は出色の書き付けといえます。天保年間に千二百両したことを伝えていますが、そのころからきわめて高く評価されていたことを物語っています。
(林屋晴三)

江岑井戸 こうしんいど

古井戸茶碗。
名物。江岑宗左の所持による銘です。
枇杷色の釉の一部が青く窯変し、釉なだれ、火間もあって、釉調の変化が見所の一つです。
内部に目痕が四つあり、高台内外にはかいらぎも現れ、畳付にも目痕があります。
手強く、精悍な雰囲気をもつ一碗で、古井戸茶碗の代表作といえましょう。
《付属物》内箱-桐白木、書付江岑宗左筆、蓋裏書付啼啄斎宗左筆外箱-桐白木、書付戸田露吟筆 添状-了々斎宗左筆
《伝来》表千家-山中了壽-松平周防守-平瀬露香上[[田露吟-金沢村彦家-島徳蔵
《寸法》高さ5.6~6.4 口径13.3~13.6 高台径5.1~5.4 同高さ0.9 重さ218
《所蔵》畠山記念館

江岑井戸 こうしんいど

名物。朝鮮茶碗、古井戸。江岑宗左の所持であったのでこの名がある。小服で精敏であり、力量十分な名作と見受けられる。千家から山中了寿、松平周防守と伝わり、本屋了芸の『苦心録』に「江岑井戸、高台の所ぬけ在之、天保(1830~44)年中松平周防守より出る、金千両二百枚なり」とある。その後さらに平瀬亀之助、戸田露吟、村彦兵衛、島徳蔵へと転伝。(『大正名器鑑』)

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