Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話

名物
高さ:6.6cm
口径:14.0cm
高台外径:5.5cm
同高さ:1.0cm

 内箱の蓋表に表されている金粉字形は、「高麗茶碗 春日野」とありますが、筆者は、あきらかでありません。
 その名称は、渋い色調のうちにも、どこかはなやかな趣をたたえた釉色に、春日野の情景を連想してのものと思われ、ことに内部の釉調の味わいは、この茶碗の大きな見どころといえ、ほんのりと赤味をおびた見込みの釉肌の美しさは、青井戸のなかでも出色の出来ではなかろうかと思われます。
 高台ぎわから口部にかけて、五段に轆轤(ろくろ)目をめぐらしながら広がった形姿はよくまとまり、高台ぎわの削り込みはやや深く、高台の大きさも上部の広がりに対して、均等を保っています。外側の地釉は赤味の強い部分と青味がちの部分が、ほぼ片身替わり状犯あらわれ、その上に青味をおびた白釉がかかっていますが、その肌には大小の穿孔が散在して、水玉のような景色をなしているのも特色です。
 高台部の梅花皮(かいらぎ)は、高台ぎわから外部畳つきにかけて、とくによく現われています。内部の釉調はすでに述べたように、茶だまりから胴にかけてのほのかな赤味はことに美しく、口辺では青味を呈しています。釉がけは総体的にやや薄く、貫入も比較的細かいです。見込みに目跡をもたぬ茶碗ですが、その景が優美であるため、すこしも寂しさを感じざせません。
 江戸時代を通じての伝来はつまびらかでなく、明治に至ってからは金沢の松岡家の蔵品でしたが、明治三十一年五月二、三日に催された豊太閤三百年祭大茶会に、大徳寺真珠庵で用いられました。その後、益田鈍翁の蔵となり、大正十一年四月の掃雲台茶会に用いられていますが、その取り合わせは次のようなものでした。、
掛物 正印月江禅師 達磨之讃
花入 一重切 遠州作 遠州蔵帳 寂青色替
茶入 三国山桜 中興名物
茶碗 青井戸 銘 春日野
そしてまた、当時、三井家の瀬尾、加藤正義氏の竹屋とともに、東都青井戸の三名碗と称されたといわれています。青井戸としては柴田井戸、宇治井戸に類似した作ゆきのもので、柴田ほどではありませんが、比較的青味の少ない茶碗です。
(林屋晴三)

春日野 かすがの

名物。鮮茶碗、青井戸。
草色の青味わたったうららかな春日野を偲ばせる景色があるための銘であるでしょう。
大きさも頃合いよく作行のすぐれた茶碗であります。
もと加賀松岡松生庵旧蔵、1898年(明治三一)の豊公三百年祭大茶湯のおり大徳寺真珠庵で使用され、その後益田家の蔵となりました。
(『大正名器鎹』)

春日野井戸 青井戸

名物
付属物 内箱 春慶塗 黒面取 書付 外箱 蓋裏 書付 戸田露吟筆
伝来 加州松岡家―益田鈍翁
所載 茶会漫録 豐太閤三百年祭大茶会記 壬成大正茶道記 乙丑大正茶道記 大正名器鑑
寸法
高さ6.5~7.6cm 口径:14.1~14.6cm 高台径:5.1cm 同高さ:1.0cm 重さ:312g

 なだらかなおだやかな形に、若草色の青井戸釉がたっぷりとかかって、春さきの野山を想わせるような茶碗です。春日野の銘はそこから出たのでしょう。もと加賀松岡家の伝来で、後に益田鈍翁の有となりました。瀬尾・竹屋とともに、江戸三青井戸の一つとして有名な茶碗です。
 浅い轆轤目が何段かにわたってなだらかに走り、高台脇の削り込みも深からず、高台は高いわりに角丸調で、さき隼とは対照的にぞわらかな造りです。長石の強い釉がたっぷりとかかっているため、地土の黒さが殆ど表に露われず、明るいなめらかな色沢を呈しています。釉が厚いせいか、釉面に気泡の吹き出したあとがしきりと現われ、そのまわりに白い釉の環礁が生じて、一風変わった景色となっています。高台内外のかいらぎは細かで、兜巾は高く堂々としています。高台のふちに、ひときわ大粒の釉溜まりが寄りそって、甚だ妙なる風情です。

春日野 かすかの

青井戸茶碗。
名物。浅い糖琥目がなだらかに走り、高台脇の削り込みも深からず、高台も角丸調で柔らかな造りである。
釉面に気泡が噴き出した痕が現われ、その周りに白い釉の環礁が生じ、独特の景色を示している。
高台内外のかいらぎ細かく、兜巾は堂々とし、縁に大粒の釉溜りぶ寄り添って妙なる風情である。
おだやかな形に若草色の青井戸釉がたっぷりかかり、うららかな春日野を想わせるところから「春日野」と命銘。
「瀬尾」「竹屋」とともに三青井戸の一つ。
【付属物】内箱-春慶塗黒面取 外箱-蓋裏書付戸田露吟筆
【伝来】松岡家-益田鈍翁
【寸法】高さ6.5~7.6 口径14.1~14.6 高台径5.1 同高さ1.0 重さ132

前に戻る
Facebook
Twitter
Email