奥高麗 筒茶碗 銘 ねのこ餅 001

奥高麗 筒茶碗 銘 ねのこ餅 001 奥高麗 筒茶碗 銘 ねのこ餅 001

高さ10.4cm 口径9.5cm 高台径5.5cm
 利休所持と伝えられ、総箱蓋裏に「利休居士 筒三之内 所持狂言袴槐木 ねのこ餅」と閑事庵宗信が書付しているので、古来利休所持三筒と称されている名碗である。また、内箱箱表に細川三斎が「子のこの餅」の銘を書きつけているが、その「子のこの餅」とは『源氏物語』のなかにただ一度出てくる特殊な意味をもった呼称である。かつて貴族社会の習慣に、陰暦十月初めの亥の日に、無病息災、あるいは子孫繁栄を祝って餅を食べる行事があり、それを亥の子餅と呼んだ。「子のこの餅」はそれに因む名称で、『源氏物語』の葵の巻に、源氏から紫に亥の子餅を勧める場面があり、その日が亥の日の翌日にあたっていたので「子のこ」と洒落て呼んだ。そして文中に、その子のこ餅の数について「三つが一つにてもあらむかし」とあるのに因んで、利休所持三筒の一つであったこの茶碗の銘としたのである。古典に通じていた細川三斎ならではの命名といえよう。
 ところで、天正十九年(1591)に歿した千利休がこの茶碗を所持していたことは、茶陶唐津の焼造年代を推定する上でかなり大きな意味をもっている。この筒茶碗は雑器ではなく、明らかに茶碗として作られている。とすれば、意識的に作られた茶碗がすでに天正後期に焼かれていたことになり、これと同様の釉のかかった奥高麗手の茶碗の多くも、天正末年以前に焼造されていたと考えられる。
 茶碗はやや厚手に素直に轆轤びきされ、その作振りは数多い唐津茶碗のなかでも古格を示すものである。しかも、姿はいかにも茶味があって味わい深く、枇杷色の釉膚も柔らかい。無造作に削り出された高台は、いくぶん片薄になってざんぐりとした赤い土膚を見せ、腰には大きな指跡が残っている。
 利休から細川三斎、高木玄斎、閑事庵宗信(坂本周斎)、今井源之丞、諏訪信当、鴻池家などを転伝したものである。

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About the author : Yoshihisa Tsuruta

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