油屋肩衝 あぶらやかたつき

鶴田 純久
鶴田 純久

油屋肩衝 大名物 漢作肩衝茶入

油屋肩衝 大名物 漢作肩衝茶入

大名物。漢作肩衝茶入。古来大名物茶入中の首位として尊重されたもので、堺の町人油屋常言(浄言)およびその子常祐(浄祐)が所持していたのでこの名があります。
同種の肩衝茶入に比べて口径がやや小さく、甑廻りに輪筋が一本あります。
また腰のあたりに沈筋が一本あり、その位置か他の茶入に比べてやや下の方にあるのは口径の小さいことと共にこの茶入の特徴といえます。
総体に柿金気色でその上に黒飴釉の景色があり、置形は肩下からむらむらと一面に広がった模様の腰紐が、下の方で一筋のなだれとなり盆付際で終わっています。
この置形に向かって右手に小さい火間があります。
全体に釉質は見事で金気が多く青・茶その他数々の色彩があり、景色も全部に及んでいてどの面にも見所があります。
裾以下は濃い鼠色の土をみせ、底は板起こしであります。
時代・作行・格好・釉質・景色など何一つとして整い備わっていないものはなく、かつ無疵で持ち疲れの跡がないようです。
1587年(天正一五)の北野大茶会の際、豊臣秀吉が常言に命じて献上させ、代わりに銭三百貫および北野茄子を授けました。
のちに福島正則が拝領し、さらにその子正利になって徳川幕府に献上しました。
1626年(寛永三)に将軍秀忠はこれを土井利勝に与えましたが、土井家では財政困難のため河村瑞軒に売り渡し、程なく冬木喜平次に移りました。
そして天明年間(1781-9)に次第に家運の傾いてきた冬木家から松平不昧の手に入りました。
値一万両といわれたこの茶入も、飢饉で冬木家の家運が衰えわずか一千五百両であったといわれます。
不昧は天下の茶入を歴観してますますこの茶入の優秀さを知り特に愛蔵しました。
もと三つあった袋にさらに太子広東・本能寺緞子・下妻緞子の三つの名物裂の袋を加え、利休の文を添掛物とし若狭盆をも添えて、不昧所持品中最高位の圓悟の墨蹟と共に一つの笈櫃中に納めました。
この笈櫃は現在もこの肩衝を納めて残っています。
参勤交代の時は士人がこれを担って不昧の前を行き、本陣到着後もこれが床に据えられない前には不昧もまた着座しなかった。
家中の士もまたこれを見ることができず、家老ですら一生にただ一度拝覧の栄を得るだけであったといわれます。
その秘蔵振りがこれでわかりましょう。かつて薩摩侯が将軍がこれを所望したらどうするかと不昧に冗談でいいますと、将軍の命はもとより否むことができないが隠岐一国ほどは貰いたいと答えたということであります。
(『古今名物類聚』『麟鳳亀龍』『諸家名器集』『古名物記』『利休百会解』『雲州宝物伝来書』『松平不昧伝』『大正名器鑑』)

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