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鶴田 純久の章 お話

大名物
国宝
付属物
箱 黒塗 文字 青貝 欅 春慶塗 書付 貼紙
被服 金地二重蔓古金欄 白地大唐草模様純子
天目台 尼崎台
伝来
柳営御物~淀城主稲葉家~小野家―岩崎家
所載
万治三年版玩貨名物記 古今名物類聚 名物目利聞書 本屋了雲著 苦心録 五雑姐 神尾家道具明細記 群書類従本君台観左右帳記 国立博物館本君台観左右帳記 三暁庵随筆 目利草 松屋筆記 津田宗及日記 今井宗久日記
寸法
高さ:7.0cm 口径:12.1cm 高台径:3.9cm 同高さ0.5cm 重さ:280g
所蔵者
東京静嘉堂

 東山足利将軍家の道具蔵帳ともいうべき「君台観左右帳記」は、当時の茶碗の代表である天目をいくつかのランクにわけて登載しています。その筆頭におかれたのが曜変天目で、いわば茶碗の王者ということになりましょう。同書に「世上になき物也」とあるとおり、きわめて特殊な焼成環境のもとでしかできないものだけに、昔から至って数少なく、遺品は日本に現存する四点だけです。その四つの中でも、曜変現象が最も顕著なのがこの稲葉で、正に茶碗の最高峰と称すべきでしょう。
 素地はきめが細かく、高台周辺の土見では、暗い灰褐色を呈します。形は最もオーソドックスな建羞形で、すこぶる入念につくったことは、端正きわまりない高台の削りぐあいでもわかります。釉薬は内外とも厚くたっぷりとかかり、そのために漆黒の色沢を呈します。人工の黒曜石ともいうべきで、その肌―特に内面の―に浮かびあがる大小さまざまの曜変は、秋夜の星雲にもたとえられましょう。世界宝ともいうべき超名品です。曜変の技法については、総説を参照されたいです。

稲葉天目 いなばてんもく

曜変天目茶碗。国宝、大名物。曜変天目は、中国宋代の建窯の天目茶碗の一種であります。
曜変とは、黒釉の表面にさまざまな大きさの濃い紺色の斑文が群をなして散在し、その周りが複雑な光彩を放つものをいいます。
きわめて特殊な焼成環境のもとでしかできないものだけに、昔からいたって数少なく、東山足利将軍家の道具蔵帳ともいうべき『君台観左右帳記』は、-世上に無き物也」と天目茶碗の筆頭に曜変天目をあげています。
遺品は日本に現存する四点だけでありますが、中でも曜変現象が最も顕著なのが「稲葉天目」で、まさに茶碗の最高峰と称しえるものであります。
素地はきめが細かく、高台周辺の土見では暗い灰褐色を呈します。
形は最も典型的な建蓋形で、すこぶる人念につくられたことは、端正きわまりない高台の削り具合いでもわかります。釉薬は内外とも厚くたっぷりとかかり、漆黒の色沢を呈し、人工のま石にたとえられる所以であります。
その肌、特に内面に浮かび上がる大小さまざまの曜変は、秋夜の星雲のようで、紺瑠璃色・銀色・群青・紺碧などの色彩が星文中に散乱し、光線があたりますと、五彩がまばゆいほどに美しく輝き合い、幻想的な世界を現出します。
口縁に復輪はないようです。
天目茶碗中第。の名作であります。
《付属物》箱-黒塗文字青貝、摩春慶塗・貼紙書付被覆上一、金地二重蔓古金欄・白地大唐草紋緞子 天目台-尼崎台《伝来》柳営御物1淀城主稲葉家-小野家-岩崎家《寸法》高さ7.0 口径12.1 高台径3.9 同高さ0.5 重さ280《所蔵》静嘉堂

曜変天目

一名 稲葉天目
大名物
国宝
所蔵:静嘉堂
高さ:6.8cm
口径:12.0cm
高台外径:3.8cm
同高さ:0.5cm

一般に、稲葉天目の名で知られる、曜変中の曜変、天目の王者ともいうべき名碗です。
器形は正しい建盞形で、総体に引き締まった気分があり、特に高台の作りは、類例のないていねいなものです。高台内を、浅く平らに削り、蛇の目状の高台に仕上げてありますが、少しのゆがみもなく、それだけでも特別の上作であることが、はっきりわかります。素地は、比較的きめが細かく、堅く焼き締まり、黒ずんだ灰かっ色で、鈍い光沢があります。
器の内外に、光沢のある黒釉がたっぶりとかかり、口縁の釉が流れて灰色を帯び、見込みと裾に、すそ裾厚い釉だまりがみられるのは、建盞の尋常の姿です。内面一面に、星紋と呼ばれる大小さまざまの、まるい斑紋が不規則に散在し、それらをめぐって、きらきらと輝く光芒が、夢のように明滅して、つややかな黒い釉面を、絢爛たるものにしています。いわゆる曜変現象であって、『君台観左右帳記』の記述に、「濃き瑠璃、薄き瑠璃の星、ひたとあり」云々とありますのに、よく符合します。見込みのあたり、ある幅をもった青白い輪形の輝きのうちに、星紋がびっしりと浮かんでいるのは、とりわけて玄妙な趣です。外側は、おおむね漆黒ですが、数ヵ所に青く光る斑紋がみられます。
このような曜変現象については、山崎一雄氏の詳細な研究があります。それによると、微細な結晶群と釉上に生まれた一万分の一粍という、非常に薄い皮膜によるものと推測されていますが、それらの成分については、まだ全くわかっていません。
この茶碗は、元和・寛永のころから、代々幕府の重職をつとめた、淀の稲葉家に伝わったもので、稲葉天目の呼称は、これによっています。『玩貨名物記』に「ようへん 稲葉美濃殿」、『古今名物類聚』に「ようへん稲葉美濃守」としてあげられているのは、まさしくこの茶碗です。その以前の伝来については、手がかりがありませんが、あるいは柳営御物であったものを、稲葉家が拝領したのではないかともいわれています。
維新後を、稲葉家に秘蔵されていましたが、大正七年、同家を離れ、小野哲郎氏の所蔵となりました。その入札にあたって、当時としては記録的な、十六万八千円の高値を呼んだこどは、長く語り草となっています。その後、岩崎家に移り岩崎家から静嘉堂文庫に移管されて、今日にいたっています。
袋 白地大唐草模様緞子
  金地二重蔓金欄
内箱 春慶塗貼り紙「耀変」
外箱 黒漆 青貝文字「耀変」
天目台 黒漆尼崎台 真諭覆輪
昭和二十六年六月、新国宝に指定されています。
(長谷部楽爾)

ようへん(曜変)

国宝。大名物。中国茶碗、曜変天目。もと徳川幕府の蔵。淀侯稲葉家に伝わり1918年(大正七)
三月東京美術倶楽部の入札に十六万八千円で横浜小野哲郎家に落札、当時の茶碗価格では最高記録であった。呑口には覆輪がなく、口縁下はやや括れ以下次第に挟まり、裾より下は鉄気色の土を見せ釉留まりは行儀よく、一ヵ所土が欠けて落ちがあり、高台は蛇の目形でおとなしく底内は平面で、外部は一面に黒紺色で星紋を見ず、これに反して内部は星紋が大小群をなして散らばり、紺瑠璃色・銀色・群青・紺碧などの色彩が紋中に乱発して斑紋はあたかも豹皮のようである。光線で一度照らせば五彩の色が鮮かに輝き、相い映発してちらちらと目もくるめくばかりに変幻し、文様が豊富で鮮明なことはこの類の茶碗のなかで第一等である。ただ中に一線のひびきがあるのは名玉の微瑕であることを免れないが、それでもなお曜変中の白眉であることを失わない。真に稀代の珍宝というべきであろう。現在は静嘉堂蔵。(『玩貨名物記』『古今名物類聚』『大正名器鑑』)

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