小くら山 おくらやま

鶴田 純久
鶴田 純久

玄悦御本茶碗。船橋玄悦は京都出身の対馬藩の藩医であり、茶の湯に通じ、また陶芸も巧みでした。
寛文三年(1663)朝鮮の釜山に渡り、伊羅保や呉器風のものを多くつくっている。その頃、茶入たちの高麗茶碗への渇望に応えて、対馬の陶工が盛んに釜山に渡って茶碗をつくりましたが、玄悦もその中心大物でした。
この茶碗は、呉器を模した撥形の高い高台をもち、高台内から一気に削り出した箆痕が胴央まで及ぶ、玄悦独特の技法が駆使されています。古い高麗茶碗に比べれば計算された作為といえましょうが、玄悦のすぐれた美意識に裏付けられ、嫌味のない豪快な茶碗となっています。《寸法》高さ9.1 口径13.0 高台径6.2

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