永喜山 えいきざん

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鶴田 純久の章 お話

但馬国(兵庫県)出石焼の一派。
幕末の武m喜平(大黒屋)は染め付けの名手でありましたが、その作品に自分の持ち山の名をとり永喜山の銘を入れました。
一書によれば、喜平は1830年(天保元)出石谷山宇椋谷(豊岡市出石町谷山)で伊左屋忠治の開いた窯を譲り受けたとあります。
1873年(明治六)七十三歳で没し、その子喜平治が業を継いで1897年(同三〇)頃まで従業していたといわれます。
(『日本近世窯業史』『日本陶甕史』)

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