あ行 agyou

朝倉山桝 あさくらさんしょう

丹波(兵庫県)名産の朝倉山根を入れ、胴の上部に朝倉山桝と印した六角または肩衝の壷。江戸時代初期から丹波焼の小野原窯で焼かれたもので、江戸時代中期に立杭に移窯する以前の作と推定されます。釉は黒・飴など、土はざんぐりして信楽

秋の夜 あきのよ

中興名物。 高取焼茶入。 『伊勢物語』の歌「秋の夜の千夜を一夜になずらへて八千代し寝ばや飽く時のあらむ」の意味をとり、尽きることのない妙味を讃えた銘であります。 相対する遠山形の双耳の一方から黒ずんだ釉がなだれ掛かり、そ

朱衣肩衝 あけのころもかたつき

大名物。漢作肩衝茶入。伝相阿弥著『東山殿肪之記』に「あけの衣いやしくそざう也、あけの衣は五位のしやう也、五位のくらゐほどのっぽなり」とありますが、総体か飴色の中に赤味を帯びた黄釉のなだれか幕状をなして、僧侶の着る朱衣の裾

秋の山伊羅保 あきのやまいらぼ

名物。朝鮮茶碗、釘彫伊羅保。口造りは山道になってベベラがあり、厚く、外側は赤青が入り交じって鹿子模様をなし、轆轤が三つ切廻され、内側は茶溜まりのほかは青味ができ、茶溜まりは深く赤味が出ています。紅緑釉の色が錦を織りなす秋

赤膚焼 あかはだやき

奈良市五条町の陶器。遠州七窯の一つ。五条山では室町時代から土風炉(奈良風炉)などがつくられましたが、伝説では天正年間(1573-92)郡山の城主大和大納言秀長が尾張常滑の陶工与九郎を招いて開窯させたのが起こりであるともい

赤玉手 あかだまで

呉須赤絵のうち、白磁の素地に赤の網目などの簡単な幾何学模様や、赤と緑との草体の花模様があり、その中に美しい日の丸様の赤丸を描いたものです。器は香合・皿・鉢など各種ありますが、中でも香合は江戸時代中期以後茶道で特に賞翫され

茜屋柿 あかねやかき

大名物。漢作茶入。堺の茜屋宗佐が所有していた柿形茶入であるところからこの名があります。全体が柿色または紫色の上に黒釉で景色がむらむらと現れ、無疵で格好もよく釉質の極めて見事な茶入であります。初め武野紹鴎が所持し、のち堺の

茜屋茄子 あかねやなすび

大名物。唐物茄子茶入。堺の茜屋吉松が所有していたところからこの名があります。全体が無疵で普通の茄子茶入より非常に大振りであります。見たところ円満豊麗の感があると評されています。釉は栗色で光沢があり、胴に一線の筋があります

上野焼 あがのやき

福岡県田川郡赤池町上野の陶器。遠州七窯の一つ。陶祖尊楷(上野喜蔵)は文禄・慶長の役(1592-8)に帰化した朝鮮陶工で、1602年(慶長七)細川忠興(三斎)が丹後国田辺(京都府舞鶴市)から豊前国小倉(福岡県北九州市小倉区

赤絵南京 あかえなんきん

中国製赤絵磁器のことで、南京は中国のことを漠然と称したものらしいです。しかし明代の赤絵のうち下手物には古赤絵の名があります。また別に呉須赤絵というものもあります。赤絵南京と呼ばれるものは普通清朝の康煕・雍正(1662-1

明石焼 あかしやき

播磨国(兵庫県)明石の陶器。元和年間(1615-24)戸田織部之助(号柳枝、1634、寛永一二年没)が同国赤浦で作陶、大和生駒山の湛海阿闇梨から明石の号を贈られたのが、すなわち古明石焼であるといいます。また元和年間に明石