蛸壺形土器 たこつぼがたどき

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鶴田 純久の章 お話

飯蛸などを取る蛸壺として弥生時代中期から平安時代にかけて使われた小型の土器。
瀬戸内海沿岸特に大阪湾沿岸に多く、西は博多湾、東は三重県・愛知県でも発見されています。
口径五センチ前後、高さI〇センチ前後で、形から二種類に大別されます。
一つは下半部にわずかな膨らみをもつ丸底のコップ形で、口縁の近くに縄を通す孔を一つ穿ってあります。
この手のものには、底に一孔をあけて、引き上げた時の水切れをよくした例も知られています。
他は裾をややすぽめた小型の釣鐘形で、頂部に小突起を付けてそこに縄を通す一孔をあけてあります。
弥生時代中期にはコップ形の蛸壺がもっぱら使われ、後期に改良形である釣鐘形蛸壺が現われて以後両者は併用されましたが、大阪湾沿岸では須恵器の生産の拡大に伴って、釣鐘形蛸壺が六世紀後半頃から量産されるようになりました。
九世紀以降に釣鐘形のものが琥櫨で成形されたほかは手担ねであります。
中世には、コ。
プ形蛸壺から変化したと考えられる大型の円筒形蛸壺が用いられ、各地でいろいろな形に変化して現在に至っています。

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