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鶴田 純久の章 お話

大名物。唐物、肩衝茶入。
笠原佗助所持、徳川家達家に入りました。
(『茶道名物考』)

わびすけかたつき 佗助肩衝

漢作唐物肩衝茶入。
大名物。
笠原宗全佗助が所持したことからその名があ宗全は堺の住人で名は十左衛門、号を吸松軒と称したと伝えられます。
もと鳥居引拙の所持したものらしく、宗全から高山右近・後藤庄三郎と伝わり、いつの頃か幕府に献上されました。
その後寛永十二年、伊達政宗が家光を接待したとき拝領しましたが、万治元年、政宗の孫綱宗が父忠宗の遺物とし献納しました。
さらに寛文四年、将軍家綱から保科正之が拝領、同九年正之隠居にあたって幕府へ返納し、以後柳営に伝存されました。
漢作肩衝としてはやや小振りで、肩の衝き方もおだやかで、全体にずんぐりした感じをみせています。
釉色は総体に渋柿色を呈し、一部黒ずんでおり、置形の近くで白濁釉がみられます。
胴の沈筋は鮮明で茶入を引き締めています。
畳付は板起しで、ところどころすり減らして安定が保たれています。
総体にその銘にふさわしく佗びた風情を呈し、これが特徴となっています。
『名物記』『麟鳳亀龍』『津田宗及茶湯日記』 『玩貨名物記』などに記録され、『徳川家茶会記』には寛文十三年、将軍家綱がこれを用いて紀伊中納言を饗し、延宝四年には同じく尾張中納言を饗したことが記されています。
【付属物】蓋 仕覆-四、朝倉間道・モール・白極緞子・縞間道(図版右より) 挽家―象牙面取、蓋甲彫銘緑青入 内箱 外箱 黒塗金粉字形
【伝来】鳥居引拙笠原宗全高山右近 後藤庄三郎―柳営御物―伊達政宗・忠宗・綱宗徳川家綱—保科正之―柳営御物
【寸法】 高さ:8.2 胴径:7.1

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