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鶴田 純久の章 お話

中国産天目茶碗ノーつ。
中国で滴珠と称する建茸のこと。
茶碗の内外に油の点滴に似た釉色が現れているところからこの名が付いました。
『能阿相伝集』に「曜変よりは多がるべし、是も薬如星」、『君台観左右帳記』東北大学蔵永禄写本に「第二の重宝これも地くすりはいかにもくろくしてうすむらさき色のしらけたるほしうちそとにひたとありようへんよりは世に数あまたあり五千疋」、同群書類従本に「ようへんの次是モー段の重宝也上上はようへんにもをとるへがらす五千匹」、『和漢茶誌』名物天目七品の条に「その色滑らかにして、油を滴らせるが如し。
故にこれが名となす」、『茶湯六宗匠伝記』に「是も建茜の内なり曜変の次なり薬たまりの内に油滴りの如き白なたれあり金子百貰ほと」、『茶湯正伝集』に「油滴とは油の滴の如くにのぎめはしりたるを云也曜変の次なり」、『万宝全書』に「曜変より次とす第二のものなり曜変より尤も数あるへし口伝あり代金五枚十枚」、『極秘目利書』に「建義に似寄しのぎ内に丸く小さき物あるを油の雫に見立候高台蒔く茶土」などとみえます。
※けんよう油滴天目茶碗国宝。大名物。中国茶碗、油滴天目。
関自秀次所持、聚楽道只ノーつ。
のち西本願寺、三井八郎右術門を経て若狭藩主泗井家に入りました。
彩精美を極め、油滴天目中の絶品であります。
油滴天目茶碗重要文化財。名物。中国茶碗、油滴天目。
江月和尚以来大徳寺竜光院の什物であります。
油滴天目茶碗重要文化財。名物。中国茶碗、油滴天目。
京都道正庵所持、のち大阪藤田家に入りました。
(『大正名器鑑』)油滴天目茶碗名物。中国茶碗、油滴天目。
もと小堀遠州所持、1636年(寛永一三)5月、将軍家光が品川御殿山の遠州の茶席に臨んだ時、出陳したものといわれます。
のち諸家を転伝して大阪藤旧伝三郎家に入ったが、のち井上世外に譲られた。
油滴天目茶碗大名物。中国茶碗、油滴天目。
もと古田織部所持、土井大炊頭利勝、木下和泉守長保を経て松平不昧うとゆに入りました。
(『大正名器鑑』)

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