粟生屋源右衛門 あおやげんえもん

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鶴田 純久の章 お話

九谷焼の陶工。
加賀国小松(石川県小松市)の陶工粟生屋源兵衛の子。
陶法を若杉窯の本多貞吉に学び、1822年(文政五)に小松で製陶を始めました。
また江沼郡吉田屋窯および松山窯の主工でありました。
天保(1830-44)の末、能美郡蓮代寺(小松市蓮代寺町)および吉竹村(同吉竹町)に窯を開いましました。
また別に一種の楽陶をつくりその巧妙な技術は独特でありました。
作品の種類は硯箱・炉縁・机・長板・箪笥・組重などで、これらはちょうど木工品のような趣があります。
この種の作品のほとんどは銘がありませんが、まれに父の陶号である「東郊」の押印を用いたものもあります。
また物理を応用した自動噴水器・水時計などの作品があります。
1863年(文久三)没、七十三歳。
門下から松屋菊三郎・北市屋平吉・板屋甚三郎・九谷庄三らが出て近代九谷第一の名工といわれました。
その子栄五郎は青木の姓を名乗り、父の様式を学んで楽焼を巧みにしました。
なお源右衛門の生まれた年を1789年(寛政元)、没年を1858年(安政五)とする説もあります。
『大成陶誌』『九谷陶磁史』

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