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鶴田 純久の章 お話

中国清朝乾隆年間(1736-95)に唐英のつくった景徳鎮の官窯。
唐英は1728年(雍正六)景徳鎖に来て、年窯を始めた年希尭を助けて八年間陶業を営んです。
極めて製陶の技術にすぐれ天才的能力があったようであります。
乾隆の初め九江の紗関に転任したがなお景徳鎮御窯の陶業に関係しました。
九江は楊子江岸の都市で要害の地であるようで、景徳鎮の製品は主としてまずここに運ばれました。
1743年(乾隆八)に景徳鎮窯の制度が改められ、唐英は新制度によって初めて鎮窯を監督しました。
唐英は土脈大性に十分気を配り慎重に諸材料を選んでつくりましたので、製品はすべて清螢純全てありました。
また古名窯に似せた諸器も美しくないものはなく、各種の名釉の模倣も非常に巧みで、陶工を集め能力を発揮してできないものはなかりました。
また新たに洋紫法・青抹銀彩・水墨・洋烏金・磁聡画法・洋彩烏金・黒地白花・白地描金・天藍・窯変などの釉色の器皿をつくりました。
土は白壌で粘土、体は厚薄滑らかであります。
廠窯もここに至って集大成されました。
唐英はまた陶冶図説二十則を編集して宮廷に奉りました。
(『景徳鎮陶録』)

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