Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話

楽家脇窯の一つ。名は忠右衛門。
楽三代道入(ノンコウ)の弟で、若い時放蕩のために家を出て、別に自ら窯を起こしました。
印に左書きの楽字を用いました。
一書には吉右衛門とあるようで、1656年(明暦二)和泉国(大阪府)堺に来て窯を開きましたが、子がなかったので京都より弥兵衛を招いて継がせ、すなわちこれを本湊焼という、とも記されています。
(『退閑雑記』『万宝全書』『日本陶器目録』『陶器類集』)※みなとやき

前に戻る
Facebook
Twitter
Email