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鶴田 純久の章 お話

登窯の一分派。
初め九州地方に起こり各地に伝わり登窯の主流となりました。
近年九州有田地方および尾張瀬戸地方において多く築造され、そのほか伊予砥部地方・加賀地方でも築造されました。
大体の構造は古窯あるいは本業窯と類似しますが、細部には大いに異なるところがあります。
要するにこの式の窯室は古窯・本業窯と比ベー層広く、特にその幅が大でその高さも高いです。
また古窯・本業窯が竪ザマであるのに比べて、丸窯が横ザマであることは顕著に相違する点で、したがって各室の勾配は非常に緩やかであります。
それゆえ各室の火度を平均に上昇させうるため、器物の肉が厚く大きいものでも自在に焼成しうることや、比較的薪材を多量に必要としない点などがその特点てあります。
丸窯の名はその天井がどの方向から見ても円形をしているために起こったものであるでしょう。

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