褐色の釉の掛かったやきものという意味からすれば広範囲のものが対象となりますが、普通陶磁史の方でこれをいう時は、中国漢代に栄えた酸化鉄を呈色剤とする低火度鉛釉陶のことを指します。
同じ漢代の緑釉陶と対照にいわれる語であります。
漢代といっても緑釉より早く、秦から前漢にかけて栄えたようで、中原から湖南のあたりまで流布しています。
これ以前に中国には低火釉陶はなく、逆に西アジア方面では古くから用いられていますので、中国の褐釉並びに緑釉の発生は西方から伝授されたことによると考えられていますが、西方のそれがソ一ダ釉であることからこの説を疑う向きもあります。
なおこの釉は壺や兪などの器物と土偶の人像・動物像などに用いられ、ほぼ明器に当てられたらしいです。
降って北朝末から唐初にかけて再びこの釉法が現われますが、比較的短期間で終わったようであります。