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鶴田 純久の章 お話

古字は濯に作ったが後世は罐に作ります。
中国の物を盛る小器のことと注されていますが、近代においては蓋のある壺・瓶の類を指称するようであります。
罐はその様式・模様などにより種々の名を付します。
例えば底に天の一字書きのあるものを天子確といい、高さ三〇センチ位の一種の円確で、その肩の左右に浮き彫りの半円形のあるものを日月陵、耀の全身に染め付けをもって氷上の梅花を描いたものを梅花綴といいます。
これを俗に氷梅と称し、その康煕(1662-1722)年製の上製のものには、西洋人中でもイギリス人は一個につき数百万金をもなげうつ者がいるといいます。
なお花鼓躍というのは鼓式をなし、巨徳堂峨というのは底に巨徳堂製の款を記しています。
これは雍正(1723-35)の製品であります。
瓜嬉というのはその蓋に瓜の蔡が付着しており、色は瓜皮緑で釉中に開片があります。
これを俗に緑郎窯といいます。
形状は西瓜のようで康煕年製のものが最優秀であります。
また福隆峨というのは、綴の口際の一辺には蝙蝠の形を浮き彫りし。
一辺には竜の形を浮き彫りしたものです。
蛎は福に、竜は隆に相通ずるので慶の意を寓しています。
乾隆年代(1736-95)のものです。
その他粥峨というものもあります。
(『陶説』『飼雅』『飲流斎説甕』)

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