北野大茶湯之記 きたのおおちゃのゆのき

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鶴田 純久の章 お話

1587年(天正一五)10月1日に京都北野神社の境内で秀吉が行った大茶会の記録。
一巻。
群書類従本のほか種々の異本かおります。
有名な高札七ヵ条のほかに当日出陣された秀吉の諸道具六十余種、茶頭として席を受け持った秀吉・宗及・宗久・利休の名と、左右両座の人名などが記されています。
この大茶会は1日から向こう10日間興行の予定でしたが、九州の政情から1日に短縮されたものといわれ、もともと1585年(天正コ二)3月8日の大徳寺総見院の大茶会、1587年(同一五)正月3日の大阪城内大茶会と同様秀吉が集めた諸道具を士庶の茶人に拝見させるという開放的豪快な催しでありましました。
建てられた数寄屋が千五、六百、点茶する者八百余人に及び、佗び者の美濃の一化やノ貫などが秀吉に認められたのもこの時でありましました。
なお1843年(天保一四)に宇喜多一薫が描いた「北野大茶湯図」の人名・道具の記入は誤りであります。
『茶道古典全集』第六巻に所収、詳しい考証があります。

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