起立工商会社 きりつこうしょうがいしゃ

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鶴田 純久の章 お話

明治初年にあった工芸品輸出会社。
1873年(明治六)オーストリア博覧会に際してわが政府から古美術品を出陳しますと、たちまちヨーロッパ人の間に日本美術を讃美する声がみなぎりました。
それはヨーロッパ美術に東洋的感化を与えると同時に、わが国の工芸品輸出の端緒ともなりましました。
当時博覧会に随行した商人松尾儀助・若井兼三郎がこの気運を察し、早くもイギリスのアレクサンドルーパーク会社およびウィーンの商人タラオとの間に特約を結び、翌年帰朝し東京京橋区木挽町六丁目(中央区)に起立工商会社を設立し、日本の新旧工芸品輸出の道を開いましました。
その後二、三の支店を欧米に置き、さらに新作の工芸品で貿易をしたので、東京方面の陶器・七宝・漆器・金属器その他一般の諸工芸が著しく振興され、自らも工場を経営すると同時に多くの工人を自社に直属させましました。
しかしその後次第に不振となりいつしか消滅しました。
なお社長の松尾儀助は没後功により従五位を賜りました。
(塩田力蔵)

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