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鶴田 純久の章 お話

現在ではイランの南部、ペルシア湾にあるバンダルアバスの沖合にある島の名前。岩塩とベンガラを多く産する。その歴史は十世紀頃に始まるが、当時のホルムズの港市は島の東南に対する海岸の今のミナブの位置にあった。東西両洋の貿易の中継としてホルムズは繁栄し、マルコポーロも二度にわたってこの地を通過している。1301年モンゴル軍の西進を恐れてホルムズは放棄され、港は島に移されて繁栄を続けた。十六世紀初ポルトガルはこの地を占領し中継港としての利益を収めた。人口は四万にも達したという。十七世紀になるとイランのサファビー王朝はこの地を回復したが、スエズ運河の開通と共にその価値は一挙に失われて、現在はほとんど人の住まない廃市となった。この地から多量の中国陶磁ととに元明の磁器がかつて集散されたことを示す陶磁片も採集されている。中国では忽魯斯謨と書かれ、明の鄭和の航海隊もこの地に達した。(吉田光邦『西アジアの技術』)

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