Dōnyū: tea bowl with hollyhock crests, White Raku
Mouth diameter 13.6cm Fushin-an
高さ6.1cm 口径13.6cm 高台径5.7cm
不審江岑の時代から不審庵に伝来した著名な茶碗です。やや浅い形の茶碗で、口端の一部をわずかに押さえて歪ませ、くっきりと削り出された大振りの高台は畳付平らに、高台内にはほかの楽茶碗には見ない 高麗茶碗を写したかのような巴状の兜巾があらわされています。器形は明らかに呉器手の高麗茶碗を写したものと思われますが、紀州侯への献上茶碗のため、特殊な形が好まれたのでしょう。高台とそのまわりを残して白楽釉がかかり、胴の二方と内側に一つ、大きく紀州徳川家の紋所である三葉葵が黄土の線描きと鉄絵具であらわされています。内箱蓋表には 「御紋 御茶碗」 蓋裏には「甲ノ三月二日御茶指上ヶ候 御紋 御茶碗 宗左 (花押)」 と江岑が箱書付をしています。江岑は紀州徳川家に仕え、二百石を知行されていましたが、この甲の歳は正保元年、貞応三年、寛文四年のいずれかに当たるものと思われます。紀州家 江岑道入の関係をうかがう上で貴重な資料です。表千家では毎年初釜にこの茶碗を用いています。