中国磁器の銅紅釉であります。
明朝宣徳年代(1426-35)に至って初めて発明されました。
天子が天地四方を祭る郊壇の祭品の用具であることから祭紅の名が出ました。
その色は朝霞の舞色のようであります。
それゆえ黄紅とも称します。
また積紅・酔紅・鶏紅などの名かおりますが、これは市大が音の近いことから種々の異称をなしただけで、その実は一つであります。
また祭紅は二種に分かれる。
一つを宝石紅または大紅といいます。
一般に郎窯と混同して称しているものであります。
もう一つを鮮紅といいます。
項子京の『歴代名磁図譜』のいわゆる積紅というものであります。
大紅の一派が広がって抹紅となり、橘紅となり、猪肝・羊肝となり、茄皮紫となり、雲豆となります。
鮮紅の一派が広がって咽脂水・美大祭・侃豆紅・桃花片・娃娃瞼・楊妃色となります。
皆その色の深浅によって名を立てたものであります。
いずれも銅質釉の還元焼成の結果にほかならないようです。
近頃では釉裏紅と通称されることの方が多く、創始年代は元にまでさかのぼります。
(『匋雅』『飲流斎説甕』『支那陶磁源流図考』)※ゆうりこう