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鶴田 純久の章 お話

朝鮮の飯器中の碗形のものです。
朝鮮では一食一碗であるので比較的大形であります。
上流家庭用のものには青花白磁または陽刻白磁のものもありますが、近年普通用のものは純白または地方の窯で焼かれた粗陶製の郷土色豊かなもの、または日本からの輸入品などであります。
今から五百年程以前の李朝初期の焼成品には、掻落手・三島手・絵三島手・刷毛目手・絵刷毛目手のほか各種の変わり手物がありました。
また茶入の目を引くようなものがあるようで、いずれも当時より時をあまり経ずしてわが国に渡り、室町時代の中期から安土・桃山時代を経て江戸時代の初期に至る間の愛陶家に賞翫され、その中のあるものは大名物・名物・中興名物などと呼ばれて伝家の奇珍となりました。
なお高麗時代には、当時陶磁工芸が発達していたのと同様に金属工芸も相当に発達していましたので、飯器類の大部分には金属製のものも併用されていました。
それらは現代の高麗出土品中に多くみられるいわゆるサハリ系の作品でありますが、そのほかに王者権官の愛用品と思われる極めて優秀な青磁類もあります。
なお沙鉢の形には大中小の別があるようで、朝顔状に口が開いたのをパラキと呼び、口の立っているのを立器と呼び、また口が内側に向かって締まっているものは鉢湯器と呼んで通常婦女子の飯碗に用いられ、これに似て少し大形をしていて汁碗に用いられるものに湯器があります。
これらの類型は高麗時代の銅器に始まり、以来その様式を伝えています。
朝鮮の器物の形状の永続性がわかります。
かつて朝鮮の李王家内殿の高貴の人たちの飯器などは、依然としてその形を受けた純銀製のものでありました。
(加藤濯覚『朝鮮陶磁名考』)

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