佐賀県西松浦郡有田町泉山年木谷の奥にあった窯。
『有田沿革史』に安永年間(1772-81)に新窯を築いたとあります。
初めは宗伝直系の深海市郎の経営によったと伝えられますが、明治初年には深海喜三がここで製作し、その子墨之助と竹治の代になって少しずつ精巧の域に達しました。
喜三が焼成した跡には主に本窯彩画物と極真匝鉢の破片があり、宮内省御用品を焼造していたと推定されます。
1886年(明治一九)墨之助か没し、竹治も1897年(同三〇)有田徒弟学校の教師になったので廃業、窯も中止になりました。
(寺内信一)