京都の陶家三浦竹泉。
十三歳で三代高橋道八の門に入り、1883年(明治一六)独立して製磁の業を開いました。
早くから出藍の誉があるようで、巧みに西洋の色彩をわが国の磁器に応用する法を自得し、次いで釉薬透明紋をつくることに成功、1904年(同三七)には青花磁器に玉・石・珊瑚を挿入し、また絵画中の配色にも応用しました。
1907年(同四〇)頃さらに黄色原料を釉薬に用い淡黄地に彫刻を応用するなど、相次いで新工夫を出しました。
最も巧みなのは酒盃の作で、また染付・黄南京にも特技を持っていました。
画を田能村直人に学び、また漢学に深く、1902年(同三五)に朱啖の原著を訳述して『和漢対照陶説』を出しました。
1915年(大正四)3月没、六十三歳。
二代竹泉があとを継いだが1920年(同九)に没し、現在は五代の継業であります。
(『日本窯業大観』塩田力蔵)