刷毛目三島 はけめみしま

marusankakusikaku
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鶴田 純久の章 お話

刷毛目のある三島手。
茶碗の内外面のどちらか一方を三島文様として他面を刷毛目としたものがあるようで、また両面とも三島手とし片面の上に特に刷毛目を強く現したものもあります。
中にはどろりとして文様の見えにくい程度の刷毛目もあるようで、地はおおむね鼠色であります。
普通茶入が刷毛目三島と呼ぶものは天正期(1573-92)に渡来した三島の刷毛目のあるもので、その釉の色が堅く出たものが喜ばれます。
(『陶磁』三ノ三『高麗茶碗と瀬戸の茶入』)ハコ京焼、瀬戸の土焼窯の、各室の奥側の火窓に近い所をハコと呼び、その上方をドエと呼びます。
(『陶器楽草』)ぱこうはん(馬煌絆)名物。中国産青磁茶碗。
伊藤東涯の『馬煌絆茶甑記』に「鉄釘六鈴を以てこれを束ね、絆ぐこと馬煌の如し。
還って趣あるを覚え、働って馬煌絆茶甑と号す」とあります。
馬煌絆は錠のこと。
東涯の記文によりますと、この茶碗は平重盛が宋の育王山に黄金を喜捨した返報として時の住持仏照禅師より贈られたもので、有名な金渡しの墨跡と共にわが国に渡来しました。
その後足利義政はこれを珍重し、その底に割れた所があるので中国明に送り同種の他の甑と取り代えようとしましたが、当時明においてもこのような名器は再び得難いというのでその割れ目に鉛を打つだのが、かえって一段と趣を添えました。
のち義政はこれを侍臣吉田宗臨に与えました。
宗臨の子孫は土木工事で有名な角倉家でありますが、宗臨九世の孫玄懐の時の1727年(享保こI)、東涯はその家でこれを拝見して感銘、記文をつくりました。
後年室町三井家に人りました。
(『大正名器鑑』)

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