1905年(明治三八)頃香川県高松市で久保駒吉(号祖舜)の始めた陶器。
のち屋島焼と改称。
高麗焼の光沢と交趾焼の雅致を備え同県の特産品となりました。
祖舜は1921年(大正一〇)4月27日八十歳で没。
子富三郎が業を継ぎ主として抹茶碗・水指などをつくりました。
また祖舜焼の名があります。
(『讃岐陶磁器史稿』)んかめいぷつき(玩貨名物記)名物記の一種。
1660年(万治三)刊行。
小堀遠州が見聞した名物記録を補充したとの序文がありますが、編者不明。
刊本名物記としては最初のものです。
内容は懸物・懸絵・茶入・花入・茶碗・釜・水指その他に分類され、「御物分」とあるのは徳川将軍家の所有品。
また「諸方道具分」とあるものの大部分は当時の諸藩大名の所有品であって、新しい権力者への道具移動の事実がわかります。
本書に基づく整理集成がのちの松平不昧の『古今名物類聚』であり、大名物・名物・中興名物の区分がここに確立されました。
なお本書万治本の「地の巻」は相阿弥の『御飾書』を収めています。
んぎ(雁木)古染め付けの茶碗などの腰にみられる山形の連続模様。