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鶴田 純久の章 お話
ミナイ白地多彩草花動物文把手壺
ミナイ白地多彩草花動物文把手壺

イランの首都テヘラン南郊の都市。九世紀頃からセルジュク王朝の首都としてバグダードに次ぐ美しい都市と称せられた。飾りたてられた多くのモスクが建ち並び町は繁栄を極めていたことが記録されている。この繁栄の中で製陶業も盛大であった。しかしこの美しかった都市も、モンゴルの西進によって破壊されてしまった。レイの陶器はカシャーンと並んで中世ペルシア陶器の一典型である。ラスター釉のタイルや容器が多くつくられたが、そのデザインには一個の文様を大きく描いたものと、極めて絵画的に白い地とラスター釉とを巧みに配合したものとがある。ことに細密画風にこまかくラスター釉で描いたものは十二世紀末か発達をみせた。またラスター釉と青緑釉とを組み合わせる手法も同じ頃に始まっている。星型タイルの周囲を青緑色で文様を付け、中央部をラスターによる細密画とするものなども多いが、同時カシャーン製品との競合による質の低下も起こり始めた。これに続いて装飾本の作者たちの影響陶器のうえに起こり始める。すなわち素地を不透明な白い錫釉・クリーム色の釉でおおった上に、上絵付して細密画を描くミナイ手であった。
今日のレイは一小市にすぎず陶業はまったく行なわれていない。近くにゾロアスター教徒の風葬の塔のあることは有名。(Pope,A.U.『A Survey of PersianArt)

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