天啓は中国明朝熹宗の治世七年間(一六二II七)の年号。
この年款のある簡素瓢逸な赤絵の器がわが国に多く遺存しています。
これらはどれも極彩色ではなく、日本人好みの洒落た染付の絵に数色を上絵付して加え、文様のない余白が多いです。
天啓赤絵は中国では遺品がまれで、わが国にだけ多く珍蔵されていることから、おそらく日本向けの輸出品であったろうといわれます。
天啓官窯には明朝歴代のように大明天啓年製と款した器物はほとんど見当たらず、単に天啓年製と輪郭なく二字二行にしたためた染付が最も多いといわれます。
この時代は明の国威が次第に振るわなくなり、景徳鎮への製陶の用命も途絶えました。
そのため従来の官窯のような精器はほとんどできなかったもののようですが、自由奔放な古染付や天啓赤絵、そしてヨ一ロッパ向けの染付、西洋風食器を盛んに製出して繁盛していました。
(『支那陶磁の時代的研究』『陶器集解』)