秋の山伊羅保 あきのやまいらぼ

名物。朝鮮茶碗、釘彫伊羅保。口造りは山道になってベベラがあり、厚く、外側は赤青が入り交じって鹿子模様をなし、轆轤が三つ切廻され、内側は茶溜まりのほかは青味ができ、茶溜まりは深く赤味が出ています。紅緑釉の色が錦を織りなす秋

小くら山 おくらやま

玄悦御本茶碗。船橋玄悦は京都出身の対馬藩の藩医であり、茶の湯に通じ、また陶芸も巧みでした。寛文三年(1663)朝鮮の釜山に渡り、伊羅保や呉器風のものを多くつくっている。その頃、茶入たちの高麗茶碗への渇望に応えて、対馬の陶

雄蔵山 おぐらやま

古井戸茶碗。小貫入。開き加減の柔らかい椀形の作で、竹の節高台も荒さがありません。赤みを含んだ草色だちの釉がおだやかで、轆轤目や高台削りの角張りを柔らかく包んでいます。その釉は細やかで、俗に魚手文と呼ばれる貫入が全体を覆い

江戸斗々屋 えどととや

斗々屋茶碗。中興名物。いわゆる本手斗々屋といわれるもので、淡茶色の素地に釉がかり薄く、枇杷色のあがりに青みの火変わりが景色をなしています。肌には轆轤目による細筋がめぐり、口縁に切回しがあり、ともに見所をつくっている。見込

絵高麗梅鉢茶碗 えごうらいうめばちちゃわん

中国の磁州窯で焼かれた茶碗です。平茶碗形で、高台は高くはないがきわめて大きいです。磁州窯の土は焼き上がると灰色か淡い茶色を呈し、淡色の釉では色が映えないので、素地の上に白泥を化粧がけにします。さらに黒泥をかけ、その上に白

有来 うらい

堅手茶碗。中興名物。有来新兵衛が所持したことによりこの名があります。この茶碗を楚白とする説もありますが、端反り椀形で、竹の節高台をもち、釉が長石を主とした白色失透釉であることから、堅手と考えられます。形は均整のとれた井戸

薄柿 うすがき

玉子手茶碗。名物。この茶碗は、土・形・釉ともに堅手とよく似ていますが、釉だちが卵白色を帯びて堅手と異なることから、玉子手と別称したものです。銘はその釉色によるもので、全体の卵白色の上に青釉が薄くかかっています。口縁は端反

伊羅保片身替茶碗 いらぼかたみがわりちゃわん

口縁に摘み出しのあるのが特色です。かけ分けの重なりは内外にわたって青みを呈し、すぐれた景色をなしています。口縁の切回しも鋭く、べべらもあって見所が多いです。見込の片刷毛も凛として白く、冴えて美しいです。竹の節高台は豪壮で

糸遊 いとゆう

玉子手茶碗。玉子手は、その釉肌が黄みを帯びた乳白色で、卵の肌を想わせるところからその名があります。この茶碗を所持した松平不昧は、釉の味わいと、一つは堅手に対照するものとして、箱表に「和手」と記しています。高台は土見で、竹

雨漏堅手茶碗 あまもりかたでちゃわん

朝鮮李朝期の、磁器質の土で釉とともに堅い感じのするものを堅手といい、堅手の中でも茶碗の内外に雨漏りのようなしみがあるのを、雨漏堅手と呼んです。このしみは器物の釉面に生じたピンホールに、焼成後、茶渋などがしみ込んで文様とな

尼呉器茶碗 あまごきちゃわん

呉器茶碗の一種。徳川の治政下になって、朝鮮の使節が日本に来た折に、京都鷹ヶ峰の尼寺薬師院に女性たちが宿泊しましたが、彼女らが日常用器として使った飯茶碗と伝えられています。あるいはそこまで細かく詮索せずに、尼寺も含む寺社で