鎌倉時代から室町中期にかけては山土を使用し、大窯時代に入ってからは主として田土を用いましたので、土味はかなり異なっています。田土を用いた桃山時代の茶陶のなかでも、やや粗い土から極めて細かい土にいたるまで、作品に応じてそれぞれに土を調製したものと思われます。また、俗に塗り土とよばれている技術も室町後期から始まっていますが、これは鉄分の多い共土を泥漿にしてずぶ掛けしたり、刷毛で上塗りしたりしたもので、これが後に伊部手となって、備前焼独特の作品に発展していきました。
成形は古くは紐造り轆轤仕上げでしたが、その後轆轤びきに変化しています。ただし、轆轤は美濃のような手轆轤でも唐津のような蹴轆轤でもなく、別に助手がいて轆轤を回し、作者は轆轤上の土を成形するのみでありました。さらに美濃や唐津のように、轆轤の上に置かれた一つの土塊からいくつもの作品を作るのではなく、器の大小にかかわらず、一つ分ずつの土を置いて作る、いわゆる「一つびき」の式法を原則としていたらしいです。したがって、糸切高台のものは、茶入のような特殊な作品、を除いてまったく見られず、いずれもペタ高台で、小さいものは箆で高台を平らにしています。水指や花生など大作の場合は、轆轤の上から容易に取りはずすために乾燥させた細かい土をまき、その上に器の底土を置き、さらに土を置いて成形する技法をとり、成形後、裾の土を箆で切り落として乾燥板の上に移す、いわゆる板起こしの技術を通例としています。
片口の水切り
古唐津古窯跡地でほぼ共通しています。大きさや焼方は色々有るけれども片口の作り方は同じようです。水切りは抜群に機能しています。現在は装飾のため片口が造られていますが、元々用をなすために造られた片口で四百年前はそれが当たり