備前には、土膚に直接焔や灰がかぶって焼き締まったものと、大きな甕の中に作品を入れ子にして上に蓋をのせ、あたかも匣入れしたのと同じ状態で焼いたものとがあり、前者を古備前または窯変ものと称し、後者は入れ子にするとき作品と作品のくっつきを防ぐため、それぞれの器に藁を巻いて焼成しますので、土膚は窯変ものよりも白く焼き上がり、藁が土膚に作用して赤く筰掛けしたように焼き上がるため、それを緋襷と称しています。しかし、多くの場合は匣鉢を用いなかったようですが、桃山以後は、ものによっては匣鉢に入れたらしく、窯跡から慶長元年銘のある匣鉢の破片などが出土しています。
古備前、緋襷の他に伊部手とよばれているものがあります。従来、伊部手は慶長以後の作といわれていましたが、初期伊部手といえる作品がすでに室町後期から始まっています。伊部手は塗り土をして焼成したもので、胎土が滑らかであり、上に俗に胡麻釉とよばれる朽ち葉色の自然釉がかかっているのが特色であり、江戸時代に入りますと、胡麻釉を人為的にぶりかけたものも焼かれています。窯変や緋襷ものが江戸初期以後衰微していったのに反して、伊部手は以後の備前焼の主流をなしました。
焼成は、伝えによると三十~四十日間焚き続けたといわれ、いうまでもなく燃料は松の割木を用いています。長さ31メートルに及ぶ長大な窯でしたから、三十~四十日の焼成は当然のことであり、座組織の共同窯でなければこれによる焼成は成立しないものであったといえます。そこに、桃山を中心とした大窯時代の作品の特色があるともいえます。
桃山時代の備前焼を概観しますと、陶工たちの手腕は、丹波や信楽、伊賀と比較して最も優れた技量を持っていたようで、その力強く、しかもきめ細やかな作為は到底他の窯の及ばぬものがあり、よほど優れた陶工が存在したものと推測されます。また、江戸初期以前に年紀銘をもつ作品が多く現存しているのも備前焼の特色で、作風の変遷を考察する上に重要な役割を果たしています。
片口の水切り
古唐津古窯跡地でほぼ共通しています。大きさや焼方は色々有るけれども片口の作り方は同じようです。水切りは抜群に機能しています。現在は装飾のため片口が造られていますが、元々用をなすために造られた片口で四百年前はそれが当たり