東山焼 とうざんやき

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鶴田 純久の章 お話

兵庫県姫路の磁器。
姫路焼ともいいます。
安永年間(1772-81)に兵庫港(神戸市)の木屋某が、番頭繁田幸助に命じて飾磨郡糸引村東山(姫路市東山)に築窯させたのが起こりといわれています。
しかし史実によりますと、東山の窯が築かれたのは文政(1818-30)初年同村の橋詰藤作によるもので、磁法は有田系であります。
のち姫路酒井家の御用窯となり、1829年(文政一二)頃まで焼かれました。
1831年(天保二)には姫路男山に移窯され、京都で尾形周平について陶技を修めた御典医橘遷喬の子周蔵が支配役となり、師の周平も来て指導に当たりました。
安政(1854-60)初年には藩の手を離れ民間有志によって焼かれた。
作品は染付および青磁でありますが、藩営の男山窯時代のものは特にすぐれています。
銘には「播陽東山」「東山」「姫路製」などがあります。
明治維新後も男山窯はしばらく続けられましたが、1876年(明治九)大蔵前(同市大蔵前町)に永世舎が設けられ、旧藩士を集めて授産のために製陶を始めると共に、男山窯の陶工もここに移り。
かくて男山窯は廃されました。
永世舎も1882年(同一五)頃には廃止されましたが、その作品は主に輸出向けの貿易品で、濃麗な色絵を特色とし「大日本白鷺製」や松葉菱に「永」の銘かおります。
※えいせいしゃ

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