中国の色絵法の一つで、美しい淡緑色を主とするため、その青豆にも似たみずみずしい色を称して豆彩と呼んです。
『飲流斎説甕』に「描かれた文様は豆青色が最も多く十申の五、六を占めるから豆彩という」とある説が当たっていましょう。
別名として闘彩あるいは逗彩の字が当てられることがありますが、これは同じく『飲流斎説甕』にあるとおり「花を付けた枝が並び茂って闘争にも似た様相を呈し」あるいは「色絵の文様が並び連なる様を逗まり並ぶ」とみて、俗間が同音の闘・逗を当てたのであります。
豆彩の始まりは明の成化年代(1465-87)で、繊麗澄明な白磁の胎に淡い青花で文様の縁どりをし、さらに豆青を主とした彩釉で上絵を施します。
文様は花升・小禽・蝶・鶏などがほとんどで、余白を十分にとった淡雅な表現が身上であります。
遺品のほとんどが小壺・盃の類に限られ元来大作はつくらなかったらしいです。
中でも親子の鶏を描いた小盃は鶏盃として名高いです。
これら成化豆彩磁は底裏に二重方画を巡らした「大明成化年製」の青花銘をもつのが普通であります。
成化以後の明代の歴朝は万暦(1573-1619)に到るまで少数ながら豆彩磁をつくりましたが、その制はすべて成化のそれを襲ったものであります。
ただし成化豆彩に遣るものは出現せず、清朝の雍正年代(1723-35)に到ってようやく優品を生み出したようであります。
それら雍正期の豆彩磁の中には成化銘を付するものがあるようで、中国陶磁の中でも最も鑑識の困難なジャンルであります。