半田焼 はんだやき

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鶴田 純久の章 お話

半田は埴田・八田とも書きます。
河内国丹南郡あるいは和泉国大鳥郡八田庄とありますので、河内・和泉の両国(共に現大阪府)に属し、時代によって呼称が異なったものと思われます。
僧行基から陶法を授けられて製作が始まったと伝えられています。
その畑熔は特に有名で茶家に喜んで用いられ、筑後国下妻郡水田村(福岡県筑後市水田)の柳川焼の泡熔も半田焼と呼ばれるようになり、畑熔の代名詞となった観があります。
半田焼の印と伝わるものに和泉八田長斎という二字三行の方印があります。
工人としては玄斎が著名で、玄載とも書きます。
出生地は不明でありますが、天正年間(1573-92)豊臣秀吉から天下一の号を授けられ、泡熔の製作で名をあげました。
その作品はざっくりとした白土を用い、見込みには箆で木目を彫り、中央に天下一の長角印を押し、底は箆で巴に削り、雅味に富んだ作風であります。
玄斎には初代および二代があるといいます。
半田で焼かれたものに釉の掛かった風炉もあります。
(『雍州府志』『毛吹草』『本朝世事談綺』『本朝陶器敬証』『喫茶余録』『筑後志略』『茶道笙蹄』)

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