江戸万古 えどぱんこ

marusankakusikaku
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鶴田 純久の章 お話

伊勢国桑名(三重県桑名市)の沼浪弄山が江戸向島(墨田区)の小梅の別邸に窯を築いて焼いた陶器で、初めは手代安達新兵衛が管理していました。
1777年(安永六)9月弄山は病没しますが、長男義道は陶業を好まず天明(1781-9)の頃廃窯。
一説には窯は安達新兵衛の監督の下で継続され、当時竹川竹斎の父政信なども出府中で慰みに陶を試みたとあります。
のち寛政から文政年間(1789-1830)にかけ加賀国(石川県)の人が再興しましたが、当時群競という者がいて共に従業しました。
「手あぶりなど青磁、細七宝、団扇に草山水など赤絵にて有は群競の作なり」また「江戸にても生瀬、千倉を釉となす由此僧の話也」などの記録からみて、万古の余流を汲んだ作風であることか知れます。
その後しばらくしてまったく廃絶。
弄山の江戸万古の製については「古万古」の項に詳しいです。
(『工芸志料』『彩壺会講演録』『茶碗』四五『陶磁』七ノ四)※こばんこ

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