京都の陶工。
京焼の磁祖といわれます。
1753年(宝暦三)生まれ。
姓は奥田、名は庸徳、通称茂右衛門。
本姓頴川に因んで頴川と号し、また陸方山とも号しました。
下京大黒町五条北入ルの丸屋という大質商で育ち、趣味から作陶に入ったが磁器の焼造に成功し、京焼における磁器の先駆者となりました。
作品には交趾手・古染め付け風・呉須赤絵風などがありますが、呉須赤絵の手が特にすぐれています。
種類には茶器・食器・花瓶・香炉などがあります。
素地も純白でなく釉調も失透気味でまだ白磁とはいえませんが、味わいは深いです。
赤絵の花烏は特に筆致が暢達し、細密な人物画にも巧みであります。
時に赤や染め付けあるいは彫りで頴川の銘があり、まれに陸方山や庸の銘もあります。
門下から木米・道八・嘉介・亀祐、また瀬戸の頴渓らの名工が出ました。
1811年(文化八)没、五十九歳。