滋賀県野洲市と同蒲生郡竜王町とにまたがる鏡山の、山麓一帯に群在する須恵器窯跡群。
鏡谷古窯址群については、すでに『日本書紀』垂仁天皇三年の条に「是を以て、近江国の鏡村の谷の陶人は、天日槍の従人なり」という記事があり、その存在は早くから知られていました。
現在所在の確認されている須恵器窯跡の総数は約五十基である、今後その数は大幅に増加する可能性が強いです。
現存する最古の窯跡はほぼ六世紀中頃に属し、以後須恵器の生産は奈良時代まで存続しました。
鏡谷古窯址群の盛期は六世紀後半代にありましたが、その当時の須恵器生産地としてはかなり大きな規模を持っていたといえます。
またその製品は琵琶湖沿岸一帯に点在する村々へ広く供給されていました。
製品の器種は各種の壺・甕を初め、蓋杯・高杯・聘などで、大阪の陶邑窯などの製品と大差ありませんが、器形や製作手法には鏡谷古窯址群の製品に固有の癖が若干認められます。
なおこの地の原料土はやや鉄分の含有量が多く、焼き上がりが黒味を帯びていること多いようです。