加治木窯 かじきがま

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鶴田 純久の章 お話

鹿児島県姶良市加治木町にあったものです。
島津義弘の御庭焼。
1607年(慶長一二)帖佐からこの地に移城した時、星山伸次(金海)の一族も随って来てしばらく同地日木山の土器園で製作した、1611年(同一六)に義弘か隠居して窯を城北御里の仁礼林左衛門の宅地に移しました。
義弘は仲次や芳珍らに意匠を授け、その優秀なものは座右に置いて愛翫し、そうでないものは破毀させてもっぱら精巧品の製出を奨励しました。
また渥入・茶碗の良いものを鹿児島の愛好家にわけました。
その御判を捺したものを御判手茶碗といいます。
製品は太白焼や蛇蝎釉・黒褐釉などの陶器や炻器で、古帖佐と分別し難く一般にはこれを古帖佐焼と呼んです。
ただ義弘の兄義久の好みで焼いた御鷹野茶碗は、作に特徴があって珍重の品であります。
1615年(元和元)義弘の遺命によって星山伸次が今の鹿児島市竪野に移って開窯したため、廃絶となりました。
なおこの地にはのちに山元焼・竜門司焼が起こったいずれも民窯であります。
(『薩摩焼総鑑』)

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