尾張常滑の陶工。
通称を菊次郎。
1821年(文政四)9月24日生まれ。
天性器用で製陶の技術は師について学ぶこともなく独習したといいます。
しかし初代三光には特に指導を受けたといいます。
轆轤・手捻りとも非常に巧みで茶器・酒嬉などを製作。
中でも火色焼の爛壺などは最も得意とするものでありました。
白泥焼を伊奈長三とほとんど同時に創始。
文久年間(1861-4)医師平野忠司の考案によって杉江寿門と共に朱泥焼の研究をして創始。
その門に沢田管江がいます。
1903年(明治三六)8月8日没、八十二歳。
(『常滑陶器誌』)