肥前国杵島郡西川登村小田志(佐賀県武雄市西川登町)の陶窯。慶長年間(1596~1615)帰化朝鮮人によって創起され、初めは皆陶質であったが、享保(1716~36)中にすでに同村内弓野山に磁器の製があった。のち淵七右衛門が溝口市兵衛らと図って磁器の製造を試みたがよい結果を得られなかった。しかしこの窯は藩用の諸器を調製していたことから1804年(文化元)ついに製磁の准許を得、陶磁器を併製するようになった。のち一時衰微したが、1827年(文政一〇)樋口親治・淵常方らがこれを再興。1871年(明治四)窯を増し、1874年(同七)松尾喜三郎が型絵の法を案出して盛業となった。