九谷庄三 くたにしょうざ

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鶴田 純久の章 お話

九谷焼の陶画工。加賀国能美郡寺井村(石川県能美郡寺井町)の人。1816年(文化一三)生まれ。初名は七、嘉永(一八四八五四)頃から庄三と改めた。若い頃古酒屋孫次に陶画を学び、また粟生屋源右衛門に楽陶を習った。1832年(天保三)から小野窯の陶画に従い、明治十一年のち羽咋郡梨谷窯•越中国(富山県)九谷製丸山窯などに赴い行六三た。1841年(同一二)以来寺井村において陶画を業とし、慶応年中(1865~8)に至って彩色金襴手と称する一種の風をなした。
人はこれを三風と呼んだ。その間に能登呉須を発見。1870年(明治三)姓名を九谷庄三となし、1883年(同一六)没、六十八歳。(『九谷陶磁史』)

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