Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話

尾張国(愛知県)の人大橋秋二。号松庵。その製品を秋二焼または養老焼と称する。同国海東郡津島津島市)の薬商稲垣某の子で、大橋清左衛門の養子となり医業を修めた。天性風流であり茶道を好み物数寄が多かった。陶法京都の陶工周平に学んで気韻そ高尚な器をつくり、のちには毎年瀬戸の窯を借り入れて多くの茶器をつくったという。晩年美濃国(岐阜県)養老山に行って製した茶碗が最ぬひとEL耳秋二作瀬戸茶碗世にもてはやされた。家は貧しくとも己を持すことが高く、人にへつらうことがなかった。かつて尾張侯より陶器師の列に加えようと招かれたが、平素の志ではなかったのでこれを辞したという。器銘に秋二・収翁・指雲児・紫雲二・聾耳収・養老など多数がある。1857年(安政四)十月二十日没、63歳。(『工芸鏡』『岐阜県産業史』『をはりの花』)

前に戻る
Facebook
Twitter
Email