中尾万三 なかおまんぞう

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鶴田 純久の章 お話

1882年(明治一五)十一月、京都市二条烏丸(中京区)に薬剤師中尾万七の長男として生まれた。1908年(同四一)東京大学薬学科卒。ただちに関東庁(のちの南満州鉄道株式会社)中央試験場技師となり、1913年(大正二)同社の命によってドイツに留学、1920年(同九)十一月「地衣科植物石花の成分とそれらの構造」の論文によって薬学博士となった。1926年(同一五)八月同社退社。1930年(昭和五)四月上海自然科学研究所の漢薬部長として勤務し、932年(同七)退職後京都郊外木幡(宇治市)に居住した。以後京都薬学専門学校(現京都薬科大学)講師。1936年(同一一)七月三十日没、54歳。和漢薬成分の研究に貢献したほか特に漢薬の科学的研究と古文献の学術的考察に前人未踏の業績を残した。また中国古陶磁の科学的研究においてわが国窯業界に益するところが大きい。その著作も多い。

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